家を建てるということは、一生の大イベント。
そのお客様の大イベントを、弊社にお任せいただけるなら、それは非常に光栄なことです。
弊社の代表を務める私、萱野直樹がどんな人柄なのか、どんな経緯でこの会社を立ち上げたのか。
家に携わる私の人柄を少しでも知っていただき、ご理解いただけたら、お客様はその大イベントを、安心してお任せいただけるのではないかと考えました。
家を建てて、おしまいでは無く、その先ずっと家に関するアドバイザーでありたい。
人と人のお付き合いで、お客様とずっと素敵な関係でありたい。
いつもそう思っています。
本当に私事で恐縮なのですが、少し語らせてください。
私の生い立ちから幼年期
萱野家の長男として誕生、1969年12月26日岡山市にある岡山国立病院にて3人兄弟の長男として誕生しました。
父は三菱自動車水島製作所で2交代勤務で忙しく働き、母は内職をして家計を支えてくれていました。
決して裕福な家柄ではありませんでしたが、とてもあたたかい家庭だったのを覚えています。
自分のお小遣いは自分で稼ごうと思い、新聞配達を頑張りました。

友達と、毎日外で走り回って暗くなるまで家に帰ってこない…
外で体を動かすことが大好き。
「お調子者」「やんちゃ坊主」でいたずらをして怒られたり、ふざけて周りを笑わせていたりと活発な幼少期でした。
そして半面、夢中でプラモデルを作ったり、ドラえもんの似顔絵を描いたり、創作することが好きな面もありました。
野球が大好き!!
小学校4年生の時に、ソフトボールの子供会に入会して小学校の時はソフトボールに夢中になりました。
ただ、監督がすごく怖かったんです…そのため、練習に行くのが嫌で嫌で…
雨が降ると練習が中止になるので「雨降って、練習中止になれー!」っていつも願っていました。
練習は嫌いだけど、試合は大好き!!都合いいですよね(笑)
試合に勝てれば嬉しくってうれしくって。
すごい充実感があって。本当に野球が大好きでした。

男女共学に憧れながらも、あえなく敗退…
中学生の時は勉強は苦手で、あまりしませんでしたが、好きな野球をして学校生活を満喫しました。
高校時代は男女共学の志望校に憧れながらも受験に失敗。
男子校に入学することになってしまいました…
残念だったのですが、意外に、それはそれで男だらけの学校生活もいい仲間に恵まれ、人間関係の大切さを学んだと思います。

社会に出て、自分の道を進み始める
車の整備士の専門学校に進学する予定でした。高校3年生の夏までは。
しかし、若気の至りですね。勉強するよりは、早く社会に出たいと思う様になりました。車にも早く乗りたかったですしね。
そして、進学をやめクレーンのリース会社に就職することになりました。
晴れて社会人となったわけです!!
ワクワクしましたね。

クレーンのリース会社ってどんなことをするかと言うと、
建築現場とかにクレーン車に乗って行き、手で持てない重い品物を所定の場所に移動させる仕事です。
荷物の重さや移動させたい距離によってクレーンの大きさが変わってきますし、使用用途によってもクレーン車の種類も違います。
今は、機械の性能も良いので操作性も良く、誰が操作してもさほど変わりませんし、安全作業が当たり前ですが、
当時は、安全装置を切っての作業は当たり前、機械も癖がすごくあって、操作が難しくて…もう大変です。
その中で繊細な操作も求められるのです。
上手くいかなければ現場の職人さんに怒られます。基本は1人で現場に行くので、味方になってくれる人が
いなかったりで、慣れるまで苦労しました。先輩について手とり足とり仕事を教えてくれる訳ではないのです。
まさに「仕事は見て、考えて自分で覚える」でした。
そして、どうやったら、「仕事が上手く進むか」「段取りが良くなるか」など自分で考えて出た答えは
「コミュニケーション」でした。
職人さんとのコミュニケーションが上手くとれると仕事はスムーズに進み、次第に仕事の効率は良くなっていったのです。
この経験は代表になった今でも生きています。良い経験でした。
進む道を考える。そして起業
仕事の性質上、時には朝現場に行っても作業がなく、1日何もせず暇なときもありました。
そんな時、
「自分の人生ってこんな感じで時間が過ぎていくのかな…もっとできることがあるのではないか?」
思う事が増えてきました。
そして、気付いたのです。
「自分の能力をもっと発揮するために起業したい!」
建築現場で働くことが多かったので、建物の設計やインテリアデザインをやってみたいと考えていました。
そして、その道に進むことにしたのです。

22歳にして立つ。そして勉強を始める
建築業で起業するためにはどうすればよいのか?
勉強の問題や時間の制約がある中で選択した答えが、専門学校に行くというものでした。
就職してから5年目に会社を辞めて、22歳で専門学校に入学することになりました。
専門学校には費用がかなり必要でしたが、少ない貯金と奨学金を借りることができたので、晴れて専門学校生となれました!
目指すは建築家
「建築家」と呼ばれる人。
専門学校で学ぶ人は、「建築家」を目指す人がたくさんいます。
その「建築家」。ときには批判するような人もいるかもしれません
”建築家なんて自分のエゴの表現者”とかなどなど…

しかし、私は専門学校の先生から学びました。衝撃的でした。
「建築を通じて様々なことを表現して、結果そこに暮らす人々の想いを実現させる」
ということを。
建築って素晴らしいと具体的に思うよう様になり、建築家になるべく努力することになります。
チャンス!!有名先生の建築設計事務所へ
最終学年3年生の夏休み最大のチャンスがやってきました。
オープンデスクと言われる制度で、これは設計事務所に行って設計事務所の仕事を実際に体験させてもらう事ができる制度です。
しかし、どこの事務所もオープンデスクをやっているわけではありません。自分が希望する事務所では体験出来ないわけです。
幸運なことに学校の先生が知っておられる事務所が募集リストの中にあり、その建築設計事務所が有名な先生がいらっしゃる事務所とのこと。
ぜひ、その有名な建築家先生に学んでみたいと思いまして、必死で先生に頼み込んでその事務所を紹介していただきました。
面接に行くあたり、2年生の進級制作で作った「森」をテーマにした建物を模型と図面で表現したものを持参して見ていただきました。
褒めて頂いた記憶が残っています。
そして、事務所で2週間充実したオープンデスクを体験できました。
その事務所で、もっと勉強したかったんですね。どうしても。
そして、オープンデスク最終日に、4月から働かせてほしいと事務所の先生にお願いしました。
自分の想いを精一杯お話したんですね。
答えはOK!!建築家先生は受け入れてくださり、晴れて4月から入所することが出来ました!
建築設計事務所での実務
事務所は香川県高松市にあります。
そこでの仕事は、手書きで図面を引いたり、建築模型を作成したりする事、現場での確認や施工図を確認したりという仕事でした。
事務所の先生もそうですが、所員の先輩方にも「デザインする事」について、深く勉強する機会をたくさん頂き、とても良い経験が出来ました。
その時の経験は今でもとても役に立ってます!
また、瀬戸内海のアートの島「直島」のアートプロジェクトに携わることも出来ました。貴重な体験でした。

師の他界と新しい事務所へ
努めていた建築設計事務所、先生が高齢の為亡くなられてしまったのです…
残念ですが同時に事務所も閉所になりました。
そしてこれを機に転職をすることになります。
新しく努め初めた建築設計事務所。
勤めていたのですが、仕事の内容に前職の事務所とのかなりのギャップがあり…
モヤモヤしながら勤めていました。
自分のしたいことが、色々なシガラミで出来なかったのです。
家族ができ、色々な仕事を経験

この頃、結婚して双子をさずかり、素敵な家族ができました。
建築設計事務所は給料もかなり厳しかったので、家族のことも考え、全然違う仕事をしようと思うようになりました。
そして、以前勤めていたクレーン会社の社長に相談して、その会社のグループ会社に勤めることになりました。
最初は、引越センターで営業して、2年経ったら移動して、本社でクレーンの営業を3年して、大型クレーン事業部で
配車を2年させてもらいました。子供たちと過ごす時間を大切にしようと思い、工場に勤務もしました。
色々やりましたね…すべては貴重な経験でした。
我が家の設計をきっかけに再び建築家に
妻の実家で生活していましたが、我が家を新築する話が持ち上がりました。
昔から我が家を建てるなら自分で設計出来るところで建てたいと思っていました。
すると、ママ友が「自分で設計しても良いよ」という工務店を紹介してくれたのです。
そして、なんと、「設計できるなら、我が社で勤めていただけないか」という話になったのです!
晴れて建築家の道に戻って来ることができたのです。37歳の時でした。

人生色々、不幸を転機に
工務店では、主にハウスメーカーの下請けの仕事をやっていました。
現場監督と打ち合わせをして業者の手配や作業の段取りや、直受けの仕事の打ち合わせや、いろいろ仕事の進め方など携わることが出来ましたが…
42歳の時にその工務店が倒産してしまいました…
途方にくれていたのですが、勤めていた時に、お世話になっていたハウメーカーの方に社員にならないかと誘って頂けました。本当にありがたかったです。
ハウスメーカに勤めると安定した給料がいただける安心があります。
しかし、もっと自由に仕事がしたいという思いがありましたので、
「個人事業主として活動したいので、外注として取引させてほしい」
とお願いして、承諾していただけました。
やっと22歳で思っていた事が少し前進しました。
プレッシャーと実務で学ぶ毎日
個人事業主として、スタートしましたが、個人故にのしかかるプレッシャーと責任、緊張する毎日。
実務で経験を積めば、それは自分自身の成長に繋がり、たくさん学ぶ事ができました。
葛藤もあります。
”これが本当に自分が作りたかった家なのか?”
”自分ならこの家にすみたいのか?”
”本当にお客様の希望を叶えているのか?”
自分で考え、ベストな方法を導き出し実現させたときには、たくさんのお客様の笑顔に出会うことも出来ました。
もっともっと新しいことに挑戦したい
「㈱かん意匠建築社」はフリーの個人事業主から株式会社として、走り続けています。
大きいハウスメーカーに比べフットワークが軽いのが、我が社の特徴。
世の中は何事も常に変化しています。
家づくりも例外ではありませんし、家に対する意識も多様化していると感じます。
それでも変わっていないことは、私の想い「家づくりへの想い」です。
もっともっと、たくさんのお客様の笑顔に出会いたいのです。
家を建てることで、そこに暮らす家族の笑顔があふれ、人生に幸せをプラスできるように願いを込めて良いものを提供できるように努力をし続けています。
「㈱かん意匠建築社」はこれからも挑戦しつづける会社です。